偉人の名言 VS 凡人の発言 - なぜ後者が心に残るのか

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私には、

言われたきっかけこそ詳しく覚えてないものの、10年以上経っても心から離れない
自然と思考に染み付き、自分の行動軸になっている
ふと思い出しては姿勢を正してしまう

そんな「誰かの言葉」がある。今こうしてわたしのブログを読んでくれている人にも、そういう類のものがきっとあると思う。

そして私の場合、「ずっと心に残っている誰かの言葉」のほとんどは、「人生の格言」とか「貴方を幸せにする100の言葉」みたいな本に載っている、偉人の名言のようなものではなく、むしろ日常生活の中で顔見知りの人が何気なく言った言葉なのだ。

なぜ世の中で名言と呼ばれるものより、よく見知った誰かの何気ない一言の方が心に残るのか。

この記事では、そんな疑問について考察してみた。

私が忘れられない言葉

まずは、私の心からずっと離れないでいる言葉をいくつか紹介したいと思う。

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」という言葉がある。この言葉で大切なのは「為せば成る」の部分じゃない。
「為さねば成らぬ」の部分だ。
「為せば成る=やればできる」はいつも成り立つわけじゃないが、「為さねば成らぬ=やらなければできない」はどんなときでも正しい。

これは私が中学生のとき、数学の先生が授業中に言った言葉だ。

考えれば当たり前のことのように思えるけど、当時のわたしはとても衝撃を受けたし、確かにその通りだと思った。

今の私は何か新しいことをやりたくなったとき、「やれるかどうかはさておき、とりあえずやってみる」ことを大切にしている。その理由はほかでもない、この時の教師の言葉が私の心に深く残っているからだ。

もう一つ。

面倒くさがりは数学に強い。
真面目な奴は難しい問題に当たると真正面からコツコツ計算に取り組む。
面倒くさがりは計算するのを面倒くさがって、なんとか近道をしようと、効率のいい解法を見つけ出す。
だからお前らも面倒くさがりになれ。

これも数学教師の言葉だけど、こっちは高校の時の教師の言葉。ここでは数学に当てはめているけど、仕事全般に言えることだ。

面倒くさがって何もしないのはただの怠惰だけど、面倒くさいから近道をするのは怠惰じゃないし、ズルじゃない。むしろ効率の良い方法を探すことは時短に繋がり、限られた時間をより有意義に使うことに直結する。

何か仕事で面倒くささと感じたとき、いつもこの言葉を思い出して、いっちょ近道探すかなとあれこれ考えている。

さらにもう一つ。

「サザエさん」を観て、日曜が終わることに憂鬱を感じる大人にはなるな。

こっちは大学時代の恩師の言葉。要するに、月曜からの仕事がつまらない、いやだと感じるような人生にするなということだ。

今の私がフリーランスやブログで生きていくことを目指しているのは、この言葉がずっと心に引っかかっていたからだ。

「格言」は、そのほとんどが心どころか記憶にも残らない

書店に「人生の格言」的な本が積まれている光景を、皆さん目にしたことがあると思う。

私は買ったことはないけど、たまに立ち読みしてみたりする。ネットにも、膨大な量の偉人の名言なんかをまとめたサイトが、いくつも存在する。

どうしようもなく凹んだときや行き詰まったときに、こういうものに縋ったことがあるひとは多いだろうし、私もそうしたことがある。

けど、こういう「格言」を読んだとき、その場ではなんとなく安心感を得ることはできるけど、心に残ったことはない。

後になってから振り返ってみると「なんかいいことが書いてあった気がするんだけど、全然思い出せないわ」この程度だ。

日常での何気ない一言が心に残る理由を考えた

なぜ「偉人の名言」ではなく「凡人の発言」なのか。いくつか思い当たることはある。

単に触れる言葉が多いから、心に残る言葉も多くなるだけ

身もふたもないけど一理あると思う。

そもそも触れている言葉が「本に書かれた偉人の格言 VS 日常の中の凡人の発言」では母数が違うから、必然的に心に残る言葉も多くなるということだ。

発言者を知っている(背景が自分と近い)から心に残る

偉人の名言とか、人生の格言みたいな言葉って、言った本人のことを私たちはあまりよく知らない。それどころか、「出所不明の格言」である場合さえある。

仮に「イチローの名言」があったとする。
その名言を読んだ/聞いたのがイチローの大ファンで、彼がメジャーに上がる前の人生から彼のことを愛しているような人であれば強く記憶に残るだろう。
けど、そうじゃない人からすれば「さすがイチローくらいになると、言うことが違うんだなあ」くらいで終わってしまう。

むしろ「この名言は素晴らしいけど、イチローくらい桁違いにスゴイ人物だからこそ言える(実行できる)ことだ」……つまり「自分とは別次元の言葉」のように感じて他人事で終わらせてしまう可能性だって十二分にある。

自分とある程度境遇の似ている人間の言葉だからこそ心を動かされるのではないだろうか。

ノーガードの状態だから深く刺さる

「人生の格言」的な本やまとめを見ているとき、私たちはこれから見る言葉たちにある程度期待を抱いている。そのぶん格言のハードルが上がっているという仮説だ。

「今から読む言葉がきっと問題解決の糸口になる」「この苦しさ、悲しみを軽くしてくれる」……皮肉な話ではあるけど、このような期待を持って見るからこそ、素直な気持ちで言葉を吸収することができないのではないだろうか。

私の心に深く残っている言葉はどれも、日常的ななんでもない場面で誰へともなく発せられたものだ。そういう言葉が案外いつまでも頭のどこかに引っかかっているものなのかもしれない。

自分の背景をある程度理解している人間の言葉なので刺さる

言い換えれば、「偉人の名言ねえ。いいこと言ってるけど、貴方って私の何を知っているのよ?」ということ。

人間というのは、自分のことを理解してくれる人のことを好きになるもので、さらに、自分の好きな人の言動には、無意識的にフィルターをかけて好意的にとらえてしまうものだ。

「自分のことを少なからず知り、理解してくれている人の言うことだから」という色眼鏡が通されている可能性もなくはない。

おわりに

「人生の格言」のような本やまとめに救われた人がいないわけじゃないだろう。

そういう人たちや、そういう書籍を否定したり、ばかにしたいわけじゃない。

こういった書籍を読めば、確かに「なるほど」と思う言葉に出会えることはあるし、読むとなんとなく気持ちが楽になるのは私も経験済みだ。

ただ、私の心に残っていた言葉がなんでもない日常の中の言葉ばかりだったことがなんとなく不思議で、どうして心に残ったのか分析したくて比較対象にさせて頂いた。

私は偉人になれるかどうかはわからないし、私の言葉を誰かの心に残せるかは分からないけど、
少なくともこのブログを通して、私という存在にインパクトを感じてもらえたらいいなと思いつつ、締めにします。