【映画感想】『ラ・ラ・ランド』は夢を追うことの狂気と空虚を肯定してくれる一作【ネタバレあり】

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ご注意

この記事は映画『ラ・ラ・ランド』の重大なネタバレを含みます。
鑑賞したことある人向けです。
未見の方はご注意ください。

こんにちは!『ラ・ラ・ランド』を劇場で4回鑑賞しても飽き足らず、Blu-rayとサウンドトラックを購入しては何かにつけて再生して本作の世界に浸っているgtgtです。

この記事では本作について、gtgtの解釈や個人的な感想について、主にミアとセブの関係性に焦点をあてながら順を追って述べます。「他の人がどんな感想を持ったか知りたい」「観たけどよくわからない……」という方に向けた記事です。

一言で表しますとタイトルのとおり、夢を追うことでときに避けられない「悲しみ」とか「むなしさ」といったものをまるごと肯定してくれる、すばらしい作品だと感じました。この記事でも基本的にべた褒めしかしてません。

※映画の解釈や感想の持ち方に正解はありません!あくまで「こういう見解もあるんだな」という感じでお楽しみください。

ネタバレなし記事も書いてます。未見の方はこちらがオススメ

お付き合いくださる方は、もう少し下へスクロールして記事をお読みください。

二人の無関心が恋へ、そして恋が愛へ……
関係の変遷が素晴らしい

出会いは偶然。そして最悪

ハイウェイでのセブとの最悪のファースト・コンタクトの後。
ミアは「私を見出してくれる誰か」と出会えるかもしれないというルームメイトの誘いに乗り、パーティーに出席します……が、「そんな誰かと出会うことが、それほど大切なことなの?」と懐疑的なようす。

いまいち乗り切らない気分のままパーティを後にし、車もどこかへ移動され、肩を落としながらとぼとぼ歩き……通りがかったレストランから聞こえたピアノの音色に足を止め、入店したところでセブを目撃します。

実はここでミアは、セブという「私を見出してくれる」「高みに連れていってくれる誰か」と出会ってるのに、本人たちはそんなこと知るよしもない……というね。粋というか、このやろうって感じですね。
本当に大切な誰かとの出会いは、多くの人が集うパーティーで得るのではなく、なんとなく立ち寄っただけの場所でこそ見つけられるものなのかもしれませんね。

けれどここでも二人は、「初対面にもかかわらず猛烈に惹かれ合い、熱いキスを交わす」……なんてことはせず、ただ肩をぶつけて言葉を交わすこともなく別れてしまうのです。(予告編の熱いキスを期待して混乱した方、ぜったいいますよね?)

しかし、何度も顔を合わせ、互いの夢を、そのために自分がどう行動しているかを語り合ううちに、自然と惹かれていきます。

「恋」はとても青臭い

ミアには、一流のレストランへ連れて行ってくれて、社会的地位もありそうな恋人がいたのに、彼との関係を蹴って、セブと恋人になる道を選びます。

それはやはり、つまずきながらも「夢」を懸命に追うもの同士、共感しあい、惹かれ合うのが自然だった、ということでしょう。

それまでのミアの恋人との付き合いは、大人っぽく成熟したもののように見えましたが、セブの恋はまるで浮かれた学生のようというか……日本人感覚かもしれませんが、青臭くて未熟なもののようにも見えます。

ミアがセブに会うため、恋人との会食の途中で急に抜け出してしまったこともそうですし、デート中も出かけた先でこどものようにはしゃいだり、人目もはばからず堂々とキスしたり……もうお互いしか見えないって感じです笑 まさに恋は盲目。

若年層向けの恋愛映画には興味ないって方は、このあたりでちょっと辟易しそうですが、『ラ・ラ・ランド』の素晴らしいところは、この二人の「熱い恋」が「穏やかな愛」に変わってゆく過程、すなわち「ふたりがすれ違いはじめてから」の展開にあると思います。

夢を追うための道の残酷さを
克明に描き出す中盤

大ゲンカの背後にあった、お互いの「無理解」

「女優」という夢を真っすぐに追い続けるけど、思うような結果が出せずにくすぶり続けるミア。

一方でセブは、誘われて入ったバンドで、自分の理想ではない「ジャズ」をやりながらも、ヒットをたたき出しツアー開催に至ります。

久しぶりに自宅で夕食を共にするふたりは、団欒を楽しみますが、やがて意見の食い違いから、激しい口論に。

たとえ失敗続きでも、馬鹿正直に「女優」という夢を追い続けるミアには、セブが「本当にやりたいジャズ」ではないバンドを続けていることに、稼げているとはいえ賛成できません。だって、彼がそのままバンドを続けたところで、セブの夢は叶わないのですから。

一方のセブは、ミアに「自分と一緒に来てほしい」と話します。セブと一緒に行くということは、ミアに「女優」になる夢を叶えるための挑戦を中断させることであり、つまり「ミアに夢をあきらめさせる」ことです。

口論の果てにセブは「女優の君に分かるか?」と言ってしまい、ミアは毒気を含んだ乾いた笑いで会話を止めてしまいます。

セブがミアの夢を否定するようなことを言ってしまったのは、彼が「ミアは夢を追うことに本気じゃない」と無意識的に感じていたからではないでしょうか。

セブは、資金や社会的な立場を得るために、好きではない音楽でもバンドに懸命に取り組んでいます。一方のミアは、失敗してもひたすらに自分のやりたいことだけにトライしている。

ふたりはそれぞれ違う方法で「夢」を追っていた。だからこそ、セブの目には「ミアは本気じゃない」と映ってしまったのではないでしょうか。

もちろんそれはミアにもあてはまることで、ミアも「セブは本気で夢を追っているわけではない」と思ってしまった。だからこの口論に発展したのでしょう。

ケンカを経て「無理解」は「理解」へ、「恋」は「愛」になった

ケンカの後、ミアは舞台に「失敗」し、酷評に傷つき、泣いて実家へ帰ってしまいます。その姿をセブも目撃し、引き留めようとするも無駄なことでした。

きっとこの出来事からセブも考え方を変えたのでしょう。呼ばれてもいないのにミアの実家へ赴き、彼女をオーディションを受けるように説得します。

「いいや、君には才能がある」「本気で女優になりたいのなら、夢中で努力しなきゃダメだ」……たとえ彼女が受かったら、遠く離れたパリへ行ってしまうことになっても。

一度は「夢をあきらめて、自分と一緒に来てくれ」なんてことを言ったセブですが、本当にミアのことを理解し、応援しようと考えを変えたことがよくわかるワンシーンです。

オーディションの後、二人が風に吹かれて街を眺めながら、「愛している」と言い合っていたとき、二人は本当の意味で互いを理解し、尊重し、愛し合っていたのだと思います。だからこそ、たとえ自分と遠く離れ離れになるとしても、セブはミアが全力で取り組めるように力強く背を押せるし、ミアも全身全霊をこめて歌えるんです。

そして、ミアがオーディションに合格し、夢を追ってパリへ旅立ったことで、セブも昔からの夢だった「自分の店を持つこと」に向き合うことができたのでしょう。

ひょっとしたら、セブは「好きじゃない音楽」のバンドでの成功に甘んじて、「自分の店をもつ」という夢に再び挑戦(そして失敗)することに、臆病になっていたのではないでしょうか。そして、ひたすら狂気的に夢を追い、ついにパリへと旅立ったミアの背を見て、彼もまた勇気づけられたのかもしれません。

ふたりは最後まで愛し合っていた

ラストのミュージカルは「ふたりの夢」

5年経ち、ふたりが再び出会ったときのミュージカルに、『ラ・ラ・ランド』のすべてが詰まっていますね。

「望んだものすべてがうまくいけばよかったのに」……ふたりはそれぞれが掴んだ「夢」を謳歌しながら、それでも叶わなかった「もしも」を夢見てしまう。

ミアは女優になり、パリへ行き、セブも一緒で、自分の店を持ち、彼の好きな「ジャズ」を弾き……けれど、そんな夢も現実に追いつけばただの空想で、はかなく消えてなくなってしまう。

「最後のミュージカルはセブの夢か、ミアの夢か?」という解釈の割れ方もあるようですが、私は「ふたりの夢」だと思っています。

ミアとセブのどちらもが、自分のそばにいるのがセブ(ミア)ではないことに、空虚さを感じながら進んでゆくことでしょう。

けれど、あのときに別れ、自分の夢に夢中になれたからこそ、いまの二人は「夢見た自分」を叶えられたのです。それを許容し、理解したからこそ、相手のそばにいるのが自分ではないことを知っても、すこしの感傷にひたったら、ミアは振り返って店を後にするし、セブも「ワン、ツー、スリー」ですぐ次の曲へと移るのです。

お互いをほんとうに理解し、尊重し、愛していたからこそ、彼らは別れる結末になってしまったのです。

あーーーーしんどい。本当にしんどい。

まとめ

「狂気的」で「ばかげて見える」ほどがむしゃらに夢を追う人たちは、ときに他人の無理解に晒され、傷つくこともあるでしょう。

本作はそんな「狂気的な夢追い人」を肯定し、許容し、勇気づける素晴らしい作品だと感じました。

私もなにかに挫折して落ち込んだときはこの映画を観て元気出してます。嘘です。元気は出ません。ただただ落ち込みます。そして翌朝には一周回って元気になります。

チャゼル監督の映画には、彼の強烈な価値観が色濃く反映されていて、かなり好みが分かれるようですが、私は大好きです。今後も彼の作品を追いかけたいと思います。

なお、『ラ・ラ・ランド』のBlu-rayにはチャゼル監督のトークも収録されておりますので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。